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【ラッパー】Pull the Wireプルさんの生い立ちが壮絶!福岡出身で本名や経歴や両親は?

Pull the Wire (プルさん)は福岡県出身のラッパーです。

プルさんは生まれてわずか数ヵ月後に両親が離婚したため母親に引き取られて育てられました。

しかし、その後、母親の再婚相手から一言では到底言い表せないほどのひどい虐待を受け続けるようになってしまいます…。

そして大人になって心の整理をすると共に、これまでの経験を少しでも多くの人々に知って欲しい‥

そんな一縷の願いを込めて街録チャンネルでインタビューに答えるという形で胸の内を吐き出す決心を固めます。

プルさんが歩んできた壮絶な道程や強い意志に共感した人々がやがてサポートをすることに!

そして、プルさんは自分の気持ちを一つの歌にしました。

プルさんが4~5曲作った時、一番最初に作った曲がこの「運命」だったそうです。

今回はそんなプルさんが街録チャンネルの中で語った胸の内やメッセージをまとめてみたいと思います。

Pull the Wire(プルさん)のwikiプロフィール!本名/年齢/生年月日/出身/身長/体重は?

Pull the Wire (プルさん)のプロフィールです!

名前:Pull the Wire プルさん

本名:非公開

年齢:27歳

生年月日:1995年(平成7年)亥年?

出身:佐賀県の芦刈生まれ小城地域

身長:不明

体重:不明

血液型:不明

事務所:不明

性格:?

趣味:?

あだ名由来:?

↓↓↓YouTube

Pull the Wire – YouTube

チャンネル登録者数 538人

↓↓↓インスタ

Pull ✝️he Wire(@the_furies_criminal_company) • Instagram写真と動画

フォロワー数 1249人

プルさんは、身長、体重などについて公表はされていなので分かりませんでした。

Pull the Wire( プルさん)の生い立ち/経歴!出身中学/高校/大学/最終学歴や逮捕歴は?

プルさんの生い立ちや経歴について、順を追って箇条書き風にしてまとめてみました。

【福岡の母子家庭で育った幼少期】

プルさんが生後3か月の時、両親が離婚してしまったそうです。

離婚の原因は父親が暴〇団の組員で薬物使用で逮捕されたから。

最初は久留米に住んでいたそうです。

・物心がついた頃は母親と姉と3人で久留米のゴミ屋敷で暮らしていた。

父親は死んだと聞かされており、母親は病院の清掃をしながら生計を立てていた。

しかし、実際は母親はキャバ嬢として働いていたそうです。

・誕生日にはコロコロコミックを買ってくれたりジョイフルに連れて行ってくれた。

この頃は貧しいながらも親子でそれなりに楽しく暮らしていたのかもしれません。

しかし、保育園の年長になった時、母親が再婚をしてから生活が一変してしまいます。

【義父から凄惨な虐待が始まる】

・母親の再婚相手は最初は釣りに連れて行ってくれたが徐々に子供たちへの虐待が始まった。

そのきっかけになったのは年長さんの時にプルさんが義父に対して言った「バカ」という一言からだったそうです。

日常的に叩かれ、ある時は風呂場ですのこの上に一睡もせず2日間座っていろと命令されたりも…

少しでも動いたら竹竿で全身を叩かれたり、寝ていたらリモコンが飛んできてボコボコにもされた。

姉は一睡もせずに勉強をしろと言われ、寝たらゲンコツされていた。

茶碗を割ったり何かミスをすると正の字でカウントされて、義父が帰ってきたらその数だけ叩かれた。

この時、母親は見ていても止めるどころか時には布団でくるまれ義父と一緒になって殴られたりもしたそうです。

そして、お姉さんは義父から弟を一緒になって叩くように命令され泣きながら従っていたんだとか…

そんなお姉さんも、一睡もせず勉強をしろ!!と命令されて寝たらゲンコツ、ライターで自分の頭をあぶれと言われたそうです。

【理不尽な児童相談所の対応】

・小3の時、夜中に抜け出して児童相談所に助けを求めるが、義父の口の上手さに職員たちは騙されて家に帰るように諭される。

「大好きなお母さんと家庭裁判所で争わなければならなくなる、それが嫌なら家に帰りなさい」

そんな風に職員から言われたプルさん。

プルさんはどんなに叩かれようとも実の母親の事は大好きだったそうです。

だから仕方なく家に戻ったみたいですね。

・身体のアザや灰皿で殴られて頭にできた傷を不審に思った学校の先生や民生委員が子供を児童相談所に預けるように母親と義父に言う。

・結果、小学校3年生の時から1か月~2か月間、合計20回くらい相談所で過ごし、また帰らされて虐待をされるを繰り返す。

・中1~中2の時から家出を試みる‥

現在は虐待の悪質さが重視されるようになり行政側も真剣に耳を傾けるようになってきたが、20年前は助けを求めにきた子供を門前払いをするのは当たり前だったとプルさんは暴露しています。

【地獄の監禁生活、生きるために犯した罪】

・家出をしても連れ戻されて、鉄の鎖と南京錠をつけられて地獄のような監禁生活を送る。

パンツ一枚でキッチンの床に寝かされ、恥ずかしくて脱走できないように頭の一部をバリカンで剃られたりも…

この時、外では花火大会や子供たちがボールを蹴って楽しく遊ぶ声が聞こえてきたそうです。

・鎖を外された隙を狙って脱走し生きるために空き巣に入ったり万引きをする。

4つ年上のお姉さんは高1の時に家出をしたそうです。

・中3の時に初めて1年半の間少年院に入って義父たちからの虐待から解放される

この時に少年院に入れられた直接的な理由は分かりませんが、両親の虐待から逃れさせようとの計らいだったということもプルさんは明かしています。

一旦、少年院を出てからも、

・原付を盗んだり空き家で寝泊まりをしてまた少年院に入れられる。

少年院では喋っても叩かれないし三食食べられることで初めて自由を知った。

プルさんは少なくとも少年院に居る間はご飯も食べられるし痛い目に遭わないですむと思ったのでしょうね!

解放されて少し気持ちが冷静になり振り返る時間もあったのでしょう、その結果、

少年院で反抗心が芽生え、義父への復讐心が湧きおこる。

【中学3年、少年院で知った我が家の異常性】

・少年院で大晦日に配られたどん兵衛を周りは文句を言うが自分は初めて見たその食べ物に感動した。

その時、初めて自分の育った家は普通ではなかったんだと思ったそうです。

・家では水も飲ましてもらえず便器の水を飲まされていたこともあった。

・醤油に砂糖を加えてそれを舐めて2~3日過ごし空腹も限界になった時に、目の前に置かれたハヤシライスを「ありがとうございます」と言って食べた。

義父はサイコパスそのものでこれが当たり前の日常だったそうです。

自分が辛くなった時に食べ物を出されると大感激して義父はすごくいい人だと思いこんでしまい、この人のためになることだったら何でもしようという気持ちになってしまうんだとも…。

・田川で元暴走族の総長だった人が引き受け人になって少年院を出る。

・自由になることでこれまでの反動が一気に爆発し、逆に俺は更生しないと少年院の先生に言い放つ。

・地元の解体業者でバイトを始める。

【成人後も消えないトラウマ】

プルさんは成人してからも幼少期に受け続けてきた虐待により精神的にも肉体的にもかなり追い詰められていたようです。

やがて地下格闘技をするようになり、17歳で復活させた暴走族の総長になる。

【非行に走り再び少年院へ】

・17歳の時に再び少年院送りになる

・当時、結婚しようと思っていた彼女(17から18歳で自分より1つ下)がいた。

引き受け人は彼女の両親だったそうですが、彼女はプルさんのことは待たずに別の恋人がいたみたいです。

プルさんは彼女のためにも更生しようと思って特進と言われるほど頑張って早く出たそうですが、出たその日に彼女の心変わりを知りました。

【孤独に耐えかねて頼ったのは薬物】

プルさんの引き受け人になってくれたのが彼女の両親だったため、しばらく一つ屋根の下で暮らすように…

この時、彼女の新しい彼氏も時々遊びにきて辛い思いをしたそうです。

暴走族も抜けた瞬間、手の平を返したように周りの人たちも去っていってしまい…

またひとりぼっちになり虐待されていた頃のことも思い出し自分には薬物しかないと思ったそうです。

・19歳の時には少女への恐喝で逮捕される。

逮捕歴は4回だと言われています。

【21年目に実父と再会】

・姉からの情報により実父の居場所と名前が分かる。

「〇のうと思っているから最後一度だけ会って欲しい」

そう実父に電話をかける。

そして西鉄久留米駅に現れた実父の嫁に案内されて車の中で父と再会する。

生れて21年後に初めて父の顔を見たそうです。

この時実父は「幸せに暮らしていると思っていたから会いに行かなかった」と泣いていたんだとか…。

それからしばらく父親の会社で働かせてもらうことに!

実父は暴〇団を辞めて保護活動をしていたそうです。

プルさんは仕事を一日一日こなしていくこと、まずは薬物を辞めることからスタートしたいと考えていたようです。

なので先を急がせるような実父と意見が食い違い喧嘩もしたけれどそれと同時にとても感謝しているそうです。

・23歳の時に大麻による交通事故を起こして拘置所に入れられる。

実父が面会にやってきて色々と励ましてもくれたそうです。

【義父に対する憎悪】

・母親と義父がある日、目の前に現れて「施設に帰れ」と言ってきた。

しかし、「今更親面するな」とプルさんが反抗したのを最後に母親と義父は行方不明になったそうです。

義父に対しては自分と同じ目にあわせてやりたいくらいの憎悪感しかないというプルさん。

しかし、母親に対しては生みの親でもあるし、かなりきつかったんだろうなとも思うし恨んでいないそうです。

【音楽との出会い過去との決別を決意】

保釈中に川崎のBAD HOPというグループの武道館ライブを見た事が刺激になり、ヒップホップの仲間を集めてイベントをします。

K.A.N.T.AさんとPower DNAというラッパーを呼んだ時、自分の人生を初めて話したんだそうです。

すると「フリースタイルで自分が思っていることを何でもいいから言い」と言われます。

そして、K.A.N.T.Aさんがプルさんを応援してその場でビートを作ることに!

【虐待サバイバーの叫び】

第1回目のイベントで全てを吐き出し過去と決別したというプルさん。

街録で過去についてすべて話すのを最後にしようとの決心もあったようです。

【運命/Pull the Wire】

現在は実の父親とは別のところで働いているプルさんですが、たまに電話はかかってくるよですがもう力は借りていないそうです。

虐待されてきた人間の気持ちはされた本人でないと絶対に分からない

保護施設を見てきたが本当に助けてくれる人はどこにもいない…

そんな(自分と同じ)気持ちになった人のことをラップで伝えていきたい。

人間は一番最初に育った基準、育ててもらった人たちで変わる

驚くことに、ある保護施設では職員から集団リンチを受けたり、指を落とせと言われた人もいたそうです。

助けを求めて行った施設で、問題があるからといって椅子で殴られたり…、

プルさん自身も施設長から車に乗せられて指を落とせとリンチまがいのこともされたんだとか‥

そんな上の人が総理大臣から表彰されている現実が納得できないとも!

プルさんはこうも続けます、

自分もやってはいけない事もたくさんやってきたし、傷つけてはいけない子たちを傷つけたことも確かにあったから人のことを言えた義理ではない…

でもこれだけは言えると、

虐待をされている子の辛さは誰よりもよく分かる

この日本でこういう人生もあるんだということを言いたいから街録インタビューに出演したんだと…。

https://youtu.be/3OzzFujojBQ

1時間にも渡る長いインタビューです。

Pull the Wire (プルさん)の実家の父/母/兄弟などの家族構成は?

プルさんの家族構成は、母親、義父、4歳年上の姉の4人家族です。

しかし、姉は高校生の時に家出、母親と義父はプルさんが成人してから行方不明になっています。

プルさんの実の父親(57歳)は再婚して別の女性と暮らしています。

父親とその再婚相手(54歳)は出所者などの社会復帰を支援するため会社を立ち上げているそうです。

プルさんは「腹違いの兄貴に会ってみたい」と言われているようなので、実父と再婚相手との間に生まれた兄弟がもしかするといらっしゃるのではないでしょうか?!

Pull the Wire(プルさん)の彼女&歴代彼女や好きなタイプは?結婚して子供がいる?

生い立ちと経歴のところでも触れていますが、プルさんには少年院にいる時、結婚をしたいと思った彼女がいたようです。

しかし、その彼女はプルさんが出てくるのを待つこともなく別の男性と付き合うようになったそうです。

結婚についてですが、現在までにそのような情報は見当たらなかったのでおそらく結婚はされておらず子供さんもいらっしゃらないのではないでしょうか。

これから先、プルさんのことを全て理解した上で一緒に居たいと言ってくれる女性が現れた時に結婚について考えれば良いのではないかと思います。

プルさんは虐待されながら育ってきた自分は先で同じようなことをしてしまうのではないか?

そんな不安がよぎってしまうそうです。

だから「俺は家庭を持ったらいけないと決めた!」

地獄のような生活から脱出した時に、ふと心に余裕ができると色んな意味で不安が襲ってくるのは当然かもしれませんよね…。

Pull the Wire(プルさん)の現在の病気は?

プルさんは幼少期から義父や母親に酷く虐待されてきたので、成人してからもトラウマに悩まされていた様子。

このことから推測すると一種のうつ病になっておられたのではないでしょうか?

他に身体的な病気などについての情報が見つかりませんでした。

まとめ

Pull the Wire( プルさん)の生い立ちや経歴、家族や彼女のことについてまとめてみました。

プルさんは想像を絶する過酷な道程を歩んでこられています。

街録チャンネルのインタビューに出演し、胸の内を明かすのは相当な勇気と決心が必要だったと思います。

それはやはり自分のように親から虐待を受けている子がたくさんいるというのを伝えたい思いもあったのではないでしょうか?

現在は行政側も昔に比べれば虐待されている子供たちを救うことに力を入れているのは確かだと思います。

ごく最近身近な人から実際に聞いた話によると、

まだ小学生の女の子が夜の7時半に外で遊んでいるのを見た近所のママが「どうしたの?」と声をかけると、

その女の子は「やっと願いがかなったの!」と明るく言ったそうです。

どうしてかと聞くと「出ていきなさい!」と言われたから…。

それを聞いた近所のママは「帰らないとダメよ」とその女の子に帰るように言ったそうです。

まさか、その時、虐待されているとは思わなかったと…

その女の子の家には幼い子供が3人いたのですが、翌日学校へ行った上二人の子が身体に傷を追っていたのを先生が発見して家庭内で虐待を受けている事実が発覚したそうです。

それを知った近所のママは、「何故あの時、女の子が言っていることをもっと真剣に聞いてあげなかったのか?」

「自分のせいで子供たちが怪我を負わされてしまったのではないか?」

そう責めてずっと悔やまれて仕方がなかったと…

学校に怪我の具合を問い合わせたら「大丈夫ですよ!心配しないでください」そう言うだけで当然詳しいことは教えてくれなかったそうです。

後日、そのママの職場にも警察から電話が入り、あの日の女の子がどんな様子だったか教えてくれないでしょうかと聞かれることもあったそうです。

全部が全部そうとは限りないので本当に難しい問題ですが、たとえよその家の子供たちが言った事であろうと、おかしな内容の話は真剣に受け止めなければならない時代になったのは確かなんだと思います。

ちなみに虐待を受けていた上の子供二人はそれ以来保護されているそうです。

虐待をする親がいなくならない以上、プルさんのように成人になってもトラウマとたたかわなければならない人は必ずいると思います。

そしてどんなにひどいことをされても母親のことは今でも大好きなんだとインタビューの中でうつむくプルさんには胸が痛くなりました。

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